ムチアー

2023/12/10

 

登録日 2023年12月10日
生産地 竹冨島、小浜島、黒島
生産量 200㎏にも満たない。 正確な統計ナシ
主な調理方法 イイヤチ:モチ米、ムチアー、アズキを大鍋で炊いて蒸らし、木べらで練り上げて成形した餅状の食品
テンプラ:石臼でアワ粉を作り、水で溶いて油であげて食べた。
品名 八重山:ムチアー
和名:粟(モチアワ)
食材の特徴

ムチアーは、琉球の在来アワです。特にもち性に優れた品種です。イネ科エノコログサ属に分類される一年生草本で、その祖先はエノコログサ(ねこじゃらし)と推定されています。本州・四国・九州の品種とは遺伝的に異なりますが、台湾の少数民族の地方品種との共通性が示唆されています。
ムチアーは、あっさりとしクセがないため上品で食べやすく、もっちりとした食感が特徴です。播種は、旧暦10月から11月ごろに行われます。種子には塩抜きした浜の砂を混ぜ、徐々に移動しながら投げるように畑に種をばらまきにします。このとき密になるようにまくのが良いとされています。出穂期は旧暦4月から5月ごろに迎え、特に芒種の時期の収穫が良いとされています。収穫は穂刈り鎌を使用し、籠や麻袋に入れて行われます。脱穀は足踏みや唐竿を使用し、風通しの良いところで風選後に、ひき臼で外側の殻を剥き、さらに竪臼で精白していました。翌年度の種子は、脱穀してカヤで編んだ容器に入れて保存されます。
他の作物が育ちにくい過酷な環境下でも栽培が可能であり、乾燥や潮風にも強い特徴を持っています。沖縄県外のアワと異なりムチアーは、葉や茎などの栄養器官を作り出す基本栄養成長期間が極めて長いため、冬作に適しているという特性を持っています。

歴史的、食文化的位置づけ

八重山諸島においては、結願祭、節祭、豊年祭、種子取祭などの年中行事で、ムチアーの穂は五穀の籠に入れて奉納されます。毎年行われる竹富島の種子取祭では、種子をおろす儀式が行われ、イイヤチと呼ばれるモチ状の供物が奉納されます。黒島では、ムチアーの束ね方に特有の呼び名が存在します。刈り取ったムチアーは10本の穂で一束とし、この一束をプスタバン、10束をプッスッカラと呼んでいました。収穫後は、部屋の中の風通しの良い場所に、束ねたムチアーを円形に積み上げて貯蔵するという習慣がありました。

生産を取り巻く状況

かつて在来のアワは、琉球孤の各地で自家消費用として広く栽培され、食生活において重要な役割を果たしていましたが、現在では集落行事での使用のためにわずかな量が栽培されています。カンショが導入される前の16世紀ごろまでは、各地域でアーやムギが主食として優先され、たくさん栽培されていました。当時の人々は、納税のためにアーを栽培し、カンショやソテツで貴重なたんぱく源を補うことで飢饉をしのぎました。昭和初期にはカンショの栽培が盛んになり、食事におけるカンショの割合が増え、戦後になると食生活がコメやコムギ粉の配給を受けて大きく西洋化しました。

しかし、現在ではアー栽培が微増し、復活してきています。一度栽培が途絶えた地域でも、島々の交流を通じて他の島からアーの種子を導入し、復活栽培に取り組んでいる方々がいます。幼い頃の生活記憶への想いが生んだこのような交流を通じて、農耕儀礼の復活や種子交換が行われ、多様なアワの存在を支えています。

それでも、在来品種のアワ種子は種苗会社で手に入りにくく、簡単に入手できるのは雑穀栽培が盛んな地域の改良品種です。この状況は、種子の来歴について生産者の知識が不足していることや、在来品種と改良品種が混ざることによる遺伝的浸食を引き起こし、在来品種の消失の危機をもたらしています。実際に、モチアワが重要な作物として位置付けられている島で、外部からの改良品種などの持ち込みが遺伝的な浸食を引き起こし、ウルチアワが混ざる事態が発生し、国の重要無形民俗文化財に指定された農耕祭祀に大きく影響を与えたという事例があります。

この問題を解決するためには、在来品種の系統を明確に区別し、遺伝的背景を踏まえた種子の更新や栽培への支援が求められます。国の農研機構の農業生物資源ジーンバンクには、幸運にも琉球弧から集められた20系統以上のアワが保存されています。研究者と連携し、地域の伝統文化を尊重し、歴史的背景をくみとりながら、地域社会との積極的な対話と協働によるアワの持続可能な栽培の実現に向けた取り組みが急務です。


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