羽地赤穂
登録日 | 2021年5月10日 |
生産地 | 日本 沖縄 南城市 仲村渠 |
生産者 | 仲村渠(なかんだかり)稲作会 |
生産量 | 年間平均90キロ |
生産時期 | 一期作6月から7月 2期作11月から12月 |
主な調理方法 | 白米1合に大さじスプーン1杯の割合で混ぜ合わせ炊くときれいな薄紫色に炊き上がる |
仲村渠で栽培されている赤米(羽地赤穂)は、元来沖縄各地で栽培されていた在来品種の一つです。昭和初期の世界恐慌や米騒動を契機に、日本では当時植民地であった台湾より全国的に改良品種が輸入された歴史があります。特に沖縄では、作付けされた台湾の改良米は、その収穫量が在来種より多かったため、在来種にかわって全県に改良種が普及しました。玉城村誌によると、奇しくも、稲作発祥の地仲村渠区では、昭和六年に旧玉城村で初めて沖縄県の指導圃として台湾の改良種が栽培されたと記されています(水堅田圃)。
仲村渠赤米は、旧暦正月初午の日に受水走水にて執り行われている田植え初めの儀礼「親田御願」で代々受け継がれてきました。受水走水(うきんじゅ はいんじゅ)は、沖縄稲作発祥伝説の舞台と言われ、琉球国時代から王府祭祀が行われた重要な拝所でした。琉球国時代の歴史文献『琉球国由来記』には、琉球開びゃく神アマミクがニライカナイから稲の種子を持って来て、村の人が育て方を習い、「浜川ウラ原の親田、高タカマシノマシカマ田」(受水走水)に苗なえを植えたと言い伝えられています。また、王府から役人が来て祭祀がなされ、干ばつには国王による雨乞い儀礼も行われました。地元の伝承によると、昔、中国から稲穂をくわえて飛んできた一羽の鶴が暴風にあってこの地に落ち、その稲穂がここで芽を出し、その早苗は地元の偉人アマミツによって受水・走水の水田(御穂田みーふーだ)に移植され、琉球最初の稲作が始まったとの話が伝承されています。
現在も「親田御願」では受水走水の各拝所での御願と田植え儀式のほか、「ユーエーモー」にて独特の四方拝「三十三拝」を行い、田植えから稲刈りまでを表現した『天親田のクェーナ』を謡い、豊作を祈願する伝統行事が村には残っています。仲村渠赤米は、沖縄の稲作発祥の地で代々受け継がれてきた、稲作文化を代表する産品です。
仲村渠区は、天然の湧泉が豊富で玉城村内でも盛んに稲作業が行われていましたが、沖縄では戦後、大干ばつやサトウキビの普及により稲作農家は激減し、現在では一部地域で稲作業が行われているのが現状です。また、羽地赤穂等の在来種を量産している農家はいません。仲村渠区は、沖縄の稲作発祥の地であり歴史文化の継承のために、仲村渠稲作会を結成し、在来種の復活に取り組んでいます。
同会は、沖縄稲作の発祥地と伝えられる玉城の泉「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」で営まれる祭祀(さいし)でをつかさどる仲村渠区の若者らが2017年に結成しました。自給のわらで同区の「綱引き」の綱を作ることを主な目的としてスタートした活動で、その活動は県内外の支援を受け、年々田の面積を拡大しています。