フーヌイユ

2021/5/17

登録日 2021年5月10日
生産地 沖縄県国頭村宜名真
生産者 宜名真漁師・宜名真区民
生産量 生産者数 約8名、生産量 約420kg(2020年度)
生産時期 10〜12月
主な調理方法
  • 塩をすり込み、天日干ししたフーヌイユは水炊きもしくは水に浸して、塩抜きしたあと、3cmほどに切って食べる。
  • 基本的には日常食ではなく、旧正月などの行事や、集落の御願で供える行事食の側面が強い。
  • ウミンチュ(海人、漁師)の間では、塩抜きせずに焼いて、お酒のあてとして食べることがある。
食材の特徴

宜名真ではシイラのことを「フー(富) ヌ(の) イユ(魚)」と呼び、「富をもたらす魚」として昔から大切な存在として親しまれてきました。沖縄のほかの地域ではマンビカーとも呼びます。宜名真では魚のことも「フーヌイユ」、天日干ししたフーヌイユも「フーヌイユ」と呼ぶので、ここでは区別するために、天日干ししたフーヌイユは「フーヌイユの天日干し」と記します。魚自体は脂質が少なく味は淡白で、宜名真近海に回遊する秋のフーヌイユは、脂がのって旨味が増します。宜名真では、鮮度保持が難しくて傷みが早いフーヌイユの保存性を高めるために、三枚に捌いた細長い切り身に塩をすり込んで天日干しします。

<加工方法について>
夜明け前から出港して、鮮度保持が難しいフーヌイユを釣ったら、できるだけ早い時間内に漁港へ戻って水揚げします。その後、漁港の作業でウミンチュが手分けして、すぐに魚をさばいて、塩をすり込みます。天候の条件が揃えば2日間ほど天日干しして、乾燥したら完成です。現在はウミンチュが中心になって、フーヌイユの天日干しづくりをおこなっていますが、その前は各家庭でつくり、冷蔵庫がない時代は5日間かけて天日干ししていたといいます。

<漁法について>
沖合にいかだ状の浮き漁礁(パヤオ)を設置して、浮きに発生する藻に集まる小魚を狙って、そこに集まる回遊魚の習性を利用した「パヤオ漁」で、フーヌイユを釣ります。これは、宜名真の祖先が南洋から学び、持ち帰ってきた伝統的な漁法。昔、浮き漁礁は集落の背後にある山から太い竹を切り出して、約3mの竹2本、約2mの竹3本を重ねてイカダ状に組み合わせて作っていました。しかし、現在は担い手の高齢化により、竹を取るために険しい山に入ることができず、大きな発泡スチロールを使用しています。漁期は、新北風(ミーニシ)が吹き始め、渡り鳥であるサシバの鳴き声が響く季節(旧暦の9月ごろ)にはじまり、12月ごろまで漁が行われます。ソデイカ →トビイカ→フーヌイユというサイクルで年間の漁業が行われ、ソデイカ やトビイカはフーヌイユ漁の餌として使われています。

歴史的、食文化的位置づけ

旧暦9月1日に、安全祈願・豊漁祈願のために「イシノウガン」がおこなわれます。その際、シイラの口にイカを食わせた状態で御供物として捧げられ、御願したあとに、パヤオを設置して、フーヌイユ漁がはじまります。フーヌイユの天日干しをつくるためには、地形や自然環境の条件が必要です。これまでも他の地域で試しましたが、宜名真と同じようにつくることができなかったといいます。フーヌイユの天日干しをつくることができる理由の一つ目として、東シナ海と太平洋に面する宜名真近海は冬季でも温暖な海水に恵まれた豊かな漁礁で、黒潮に乗って来遊する魚類の通り道となっていることです。そのため、昔からウミンチュ(漁師)の多い集落でした。二つ目に、季節風である新北風(ミーニシ)が強く吹きつけ、宜名真の集落のすぐ背後に高い山がそびえ立つ地形(茅打ちバンタなど)であることから、周辺地域のなかでも特に海風が回るため、天日干しが可能になります。最後に、漁場が近くにあることで、鮮度を保ってすぐに加工できることです。食糧がいまのように十分ではなかった頃、群れをなして落ち着きなく回遊する習性のフーヌイユに出会えたら、「フーがある!」と喜んで、その恵みに感謝していたといいます。昔は自家生産・消費していましたが、現在は宜名真漁港や宜名真共同売店などで販売しており、那覇や名護などの市街地で飲食店を営む宜名真出身の人が、故郷の産品としてメニューに並べることもあります。2014年から毎年11月に集落総出でフーヌイユ祭りが企画し、フーヌイユの特産品や食事の販売、漁の体験等をしています。

生産を取り巻く状況

昔はウミンチュがフーヌイユを釣って港で販売し、集落の人はそこから魚を買っていました。各家庭で捌き、天日干し加工をおこなっていましたが、高齢化などによって集落の人口減少が進み、だんだんと作る人も減っていったといいます。このままでは、フーヌイユの食文化が途絶えてしまうという危機感から、フーヌイユ祭りの開催をきっかけとして、昔ながらのフーヌイユの作り方をおじいおばあたちが覚えていて教えてもらいながら、ウミンチュを中心とした体制でフーヌイユの天日干しを引き継ぎ、現在に至っています。昔ながらのフーヌイユの作り方を現役で続けている人は、現在、宜名真には1名のみ。担い手、後継者の減少(国頭村漁業組合宜名真支部の所属:30年前は30名ほど→現在は8名)だけではなく、フーヌイユの水揚げ量の年々減少しています。集落の目の前に広がる、フーをもたらす海から、宜名真の人々が繋いできたフーヌイユの食文化とその風景を守り伝えるために、味の箱船として登録しました。

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